沢井忠夫は、東京芸術大学在学中から邦楽ジャンルにとらわれない様々な音楽活動を行い、将来を嘱望されるホープとしてテレビやラジオで度々取り上げられていた。その活動の広がりに合わせるように、1966年頃から箏曲を習いたいという希望者が集まり始めた。 68年に「沢井忠夫・沢井一恵門下生によるお箏の勉強会」が産声をあげ、74年には「沢井箏曲研究室」と名称を変更。忠夫・一恵夫妻のレッスンやコンサート、門下生の勉強会や演奏会を通じて、次第に生徒達も増え、その活動は大きな広がりを見せるようになる。