DEATH TO SHEEPLE

DEATH TO SHEEPLE

長い長い階段を下った先の地下室に立ち込める、むせ返るような匂い。 街灯ひとつない、不穏な路地裏の光景―― そういう、現行ハードコアシーンの中 でひときわ異彩を放つ怖さと、ズタズタに切り裂いては憎悪をばら撒いてくような音塊はより一層獰猛にビルドアップされ、徹頭 徹尾、混沌とした世界を叩きつけては「世の中の大多数」を破壊していく。 何しろ『DEATH TO SHEEPLE』(群集動物である羊のようなヤツらは皆殺し)というタイトルが表しているように、「世の大多数」から弾き出され(あるいは自ら飛び出して)、個として生きる道を切り拓き続けた男達の人生がそのまま 鳴ったような、まさに生き様としてのハードコアである。 アイドルへの依存をコキ下ろしまくっていることも、宗教への盲信に似た人気で成り立つ音楽 を執拗なまでに蔑み続けるのも、「ダサイものはダサイ」とはっきり言ってしまうバンドだからなのである。 前作『Spit on authority』に引き続きANARCHYを客演に迎えた''Treatment feat. AMARCHY''のようにヒップホップとの合流を果たし、さらにそれを誰も聴いたことないネクストレベルまであっさり引き上げたり、過去の主催イベント「FREESTYLE OUTRO」(現在は一旦休止中)でも雑多なカルチャーの数々を闇鍋のような混沌にして見せたり。 生き様が音楽なのだという精神性ひとつで他ジャンルともリンクできるバンドスタンスも、この強烈でカオティックな音楽性の根幹にあるものだろう。極端にボトムヘヴィなビートダウンには ニューヨーク・ハードコアの血が色濃いが、真っ黒な渦が巨大化していくカオティックな楽曲展開は、雑多な音楽を消化しては昇華するセンスの賜物で ある。 そして今作では、そうして食ってきた音楽性が''Drowsy''''Breezy''''Hazy''という3曲のinterludeでも聴ける。 後半、唐突に飛び出す予測不能な技ありリリックに思わずニヤリとする''Lalalala''も含めて、ストリートという場所で生きてきたからこその音楽消化力と遊び心が散りばめられ、それが、「なんだこれは」という、まったく予測のつかない畏怖と感嘆となって襲いかかってくる真骨頂作だと言えるだろう。 さらに、昨年、一昨年で行ったヨーロッパ、アメリカツアーもそのまま血肉となっているのだろう。 一発の音に込められたエモーションが前作から遥かに飛躍している。 ハードコアには――もっと言えば、ロックには、「個として生きるための全力の音楽」というアイデンティティがある。初期パンクが掲げた「 UNITE」は、一人ひとりが強く立ち、それがひとつの場所へと猛進していく時の力を表すものだった。 人を簡単に知った気になれるツールが蔓延 し、「みんなで」「一緒に」という言葉が表面上でしか捉えられないようになった今の時代に忘れ去られてしまいそうな大切な「自分は自分のまま生きていく」というアティテュードをあまりに生々しく鳴らしているSANDは、「希有」なのではない。 平和ボケした世界の「多数派」の外で生きたから こそ、自分の信念を無濾過で表すことのできる「あまりに真っ直ぐな生き様」なのだ。正義や正解なんて、誰かに決められるものじゃない。 それは、自分の腹と拳の中にしかないものだろう?

DEATH TO SHEEPLE

sand · 1444147200000

長い長い階段を下った先の地下室に立ち込める、むせ返るような匂い。 街灯ひとつない、不穏な路地裏の光景―― そういう、現行ハードコアシーンの中 でひときわ異彩を放つ怖さと、ズタズタに切り裂いては憎悪をばら撒いてくような音塊はより一層獰猛にビルドアップされ、徹頭 徹尾、混沌とした世界を叩きつけては「世の中の大多数」を破壊していく。 何しろ『DEATH TO SHEEPLE』(群集動物である羊のようなヤツらは皆殺し)というタイトルが表しているように、「世の大多数」から弾き出され(あるいは自ら飛び出して)、個として生きる道を切り拓き続けた男達の人生がそのまま 鳴ったような、まさに生き様としてのハードコアである。 アイドルへの依存をコキ下ろしまくっていることも、宗教への盲信に似た人気で成り立つ音楽 を執拗なまでに蔑み続けるのも、「ダサイものはダサイ」とはっきり言ってしまうバンドだからなのである。 前作『Spit on authority』に引き続きANARCHYを客演に迎えた''Treatment feat. AMARCHY''のようにヒップホップとの合流を果たし、さらにそれを誰も聴いたことないネクストレベルまであっさり引き上げたり、過去の主催イベント「FREESTYLE OUTRO」(現在は一旦休止中)でも雑多なカルチャーの数々を闇鍋のような混沌にして見せたり。 生き様が音楽なのだという精神性ひとつで他ジャンルともリンクできるバンドスタンスも、この強烈でカオティックな音楽性の根幹にあるものだろう。極端にボトムヘヴィなビートダウンには ニューヨーク・ハードコアの血が色濃いが、真っ黒な渦が巨大化していくカオティックな楽曲展開は、雑多な音楽を消化しては昇華するセンスの賜物で ある。 そして今作では、そうして食ってきた音楽性が''Drowsy''''Breezy''''Hazy''という3曲のinterludeでも聴ける。 後半、唐突に飛び出す予測不能な技ありリリックに思わずニヤリとする''Lalalala''も含めて、ストリートという場所で生きてきたからこその音楽消化力と遊び心が散りばめられ、それが、「なんだこれは」という、まったく予測のつかない畏怖と感嘆となって襲いかかってくる真骨頂作だと言えるだろう。 さらに、昨年、一昨年で行ったヨーロッパ、アメリカツアーもそのまま血肉となっているのだろう。 一発の音に込められたエモーションが前作から遥かに飛躍している。 ハードコアには――もっと言えば、ロックには、「個として生きるための全力の音楽」というアイデンティティがある。初期パンクが掲げた「 UNITE」は、一人ひとりが強く立ち、それがひとつの場所へと猛進していく時の力を表すものだった。 人を簡単に知った気になれるツールが蔓延 し、「みんなで」「一緒に」という言葉が表面上でしか捉えられないようになった今の時代に忘れ去られてしまいそうな大切な「自分は自分のまま生きていく」というアティテュードをあまりに生々しく鳴らしているSANDは、「希有」なのではない。 平和ボケした世界の「多数派」の外で生きたから こそ、自分の信念を無濾過で表すことのできる「あまりに真っ直ぐな生き様」なのだ。正義や正解なんて、誰かに決められるものじゃない。 それは、自分の腹と拳の中にしかないものだろう?

2
3
5
10
11

sand的其他专辑